-過去ログ-
■ 北朝鮮の原子力ムラ -2012年4月1日(日)00時18分
北朝鮮の原子力事業は1956年、ソ連と原子力研究協定を結んだところから始まる。1961年には平壌の北80キロの寧辺に研究施設の建設が始まり、翌年には2メガワット出力の研究用軽水炉IRT-2000が建設された。この施設はソ連の強い監視下にあり、当時は医療用アイソトープの生産程度にしか利用できなかったものと思われる。そのため直後から北朝鮮は独力による原子炉の建設に邁進することになる。
原子力関連の研究施設、教育施設は平安北道に集中した。1970年代始めに北朝鮮はIRT-2000の熱出力を倍加した。1977年には熱出力は8メガワットに達するようになった。1979年、北朝鮮は熱出力25メガワットの黒鉛減速・炭酸ガス冷却炉の建設を始めた。これは1984年に完成したが英国のコールダーホール型原子炉をそっくりモデルにした� �のである。1986年に運転を開始したこの原子炉では発電も行い、電力出力は5メガワットに達した。
同年、原子力工業省が設立され、寧辺に電力出力50メガワット、寧辺北西20キロの泰川に200メガワットの原子炉の建設を開始した。北朝鮮は1974年にIAEAに加盟、1985年にはNPT(核不拡散条約)にも加盟した。またソ連から発電用原子炉を供給してもらう協定も結んでいる。核不拡散の遵守によって北朝鮮はソ連から発電用原子炉の供給を約束されたものと思われる。この時期北朝鮮は、少なくとも表面上は核兵器開発などおくびにも出さず、発電用原子炉の建設を重視していたことがわかる。しかしソ連は北朝鮮の兵器核開発に対して疑惑を抱いていた筈だ。
この体制はソ連の崩壊にはじまる一連の流れの中で大きく変化することに� �る。
原子力技術は、様々な科学技術の中でもイデオロギー的な骨組みの中に位置することが大きい技術である。多くの国家指導層ではその国家の存在に関わるものとされ、しかし大衆には強く忌避されるのも常である。核兵器の有効性については、実戦利用から有益な勝利を得られる可能性が、現状核を欲しがるタイプの国家には特に薄く、政治利用が唯一の有効利用となる。従い原子力技術もいきおい政治化されがちとなる。つまり物理的現実より観念と関係者の利害が優先される。
現在の日本の原子力産業がそうであるように、1980年代末の北朝鮮の原子力関係者も研究者、行政、現場の三者が強固に結合して互いを護っていた。とても実現不可能な輝かしい未来を喧伝し、不都合を糊塗し、狭い社会的繋がりを� �持していたが、これは当時の北朝鮮の政治的状況を考えると致し方ないものであろう。特に彼らはソ連との繋がりが強固であり、金日成独裁を脅かす可能性を常に疑われ続けてきた。
1991年にソ連が崩壊すると、北朝鮮の原子力関係者の後ろ盾は失われた。以後1993年まで政治的には冷や飯を食らう状況にあったが、原子力事業の優先順位は形式的には変化は無く、関係者は優先度の高い配給を受けることが出来た。しかし金正日体制への移行に伴う権力整理の中で、原子力関係者はほぼ丸ごと政治犯として排除されることになる。これは核兵器開発体制を確立する為のものとされるが、北朝鮮の原子力技術の中核がここで失われ、その後北朝鮮はパキスタンとの協力での核開発を模索することになる。こういった状況はそもそも金正 日らの望むところではなかったとされるが、1993年の北朝鮮の原子力開発において何があったのか、明らかになったのは最近のことである。
1993年の粛清は原子力工業省とその傘下の放射化学研究所、304研究所らの現場機関、原子力科学委員会、平北物理大学核物理学科と広範に及び、研究者や行政関係者らおよそ800人が、平安北道大舘郡に新設された政治犯収容所である第202教化所に送り込まれた。これは原子力事業全般の人民武力部と国防委員会への移管に伴う処置だった。
北朝鮮の原子力関係者の結合は、ただ単にこの移管を行政担当者の排除のみに終わらせなかった。研究者も技術者ももはや切り離せない一体のものとして扱われたのだ。
第202教化所は元は金日成の見学用のモデル農村"躍進村"だった。ここ� �千里馬運動・主体農法のモデル農場として整備されたが、主体農法で荒廃してからは農場としての機能を捨てて見学コースとしてのみ存在していた。これを政治犯収容所に転用されたのである。元来この措置は一時的なものを意図していたらしい。第202教化所は政治犯収容所としては破格の好待遇環境であり、労働も山の裏手に建設されていた核濃縮プラントを格納する地下施設の建設に関わるもので、けっして悪条件というものでは無かった。
しかし翌年金日成が死去し、北朝鮮の経済、そして食糧事情は極端に悪化してゆく。第202教化所の状況も極めて劣悪なものとなっていった。収容されていた原子力関係者たちは外部との接触を絶たれていたために、これは自分たちを処分しようとする方針があるに違いないと確信するよ� �になっていた。彼らはIAEA査察に伴って核濃縮プラントを隠匿する混乱にまぎれて、虎の子の濃縮プルトニウム5キログラムを秘匿することに成功した。彼らが第202教化所で組み立てたのはシンプルなショットガン型だったとされている。
1995年夏、第202教化所は消滅した。これは水害によるもので、大規模な地滑りによって壊滅的な被害を蒙ったとされている。この水害の原因は、収容された人々が周囲の木々を伐り過ぎたからだという。この時には放射性物質は検出されていない。
この時期の第202教化所の様子は混乱を極めたものだった。咸鏡北道の新しい政治犯収容所である第16号管理所の噂が、彼らがやはり処分されるのだという観測に火をつけた。第16号管理所は核爆発実験のトンネル労働者確保のための施設でもあり 、その環境の苛烈さは恐怖の的となった。しかし、原子力は国家にとって極めて重要で彼らが換えることの出来ない研究者、技術者、管理者であり、いずれ再び重用される時が来るという観測も存在していた。事実この時期は、IAEA査察等から彼らを隠す意図が存在していた。しかし第202教化所の内部では、この2つの見方をとる二派に分裂して抗争が始まっていた。悲観派の最右翼がクーデター派で、彼らが核爆弾製造へと突っ走ったとされるが、実際にはクーデターの手法も、その際に連係すべき軍第6、第7軍団との関係も、一切存在していなかった。彼らはあまりに狭いコミュニティに引き篭もり過ぎて、権力と関係の無い外部人脈を欠いていたのだ。楽観派はせっせと木を伐って薪の収入を得ていたという。彼らはあまりに楽観的に過 ぎていた。実際には原子力工業省は解体され、行政関係者は元の地位に戻ることなど不可能だった。研究者、技術者も隔離環境の生活になる筈だった。
1995年夏の水害で、第202教化所に生き残った者がいたかどうかは不明である。こうして北朝鮮の原子力ムラは自滅的な消滅を遂げた。5キログラムのプルトニウムの所在は不明となり、中距離弾道ミサイルの開発と連動した核弾頭開発の試みはこの時点で頓挫した。北朝鮮は寧辺の保管済み燃料棒を処理するしか高濃度核物質を手に入れるあてが無くなった。また原子力技術の中心的人員を失ったことによって、北朝鮮は10年の足踏みを余儀なくされたのである。
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はい、後半嘘です。現在北朝鮮の核開発は国防委員会� ��管轄下にあるものと思われますが、詳細は不明です。10年の足踏みは北朝鮮の核開発の謎の一つです。
イデオロギーの枠組みが付いてまわる種類の技術は、単なる技術や経済ではその存在を論じることができません。思想とそれに基づく広範囲な説得が必要なのですが、思想というのはえてして小規模なカルトに閉じがちなものです。多分、思想を扱う技術がまず先行して必要なのでしょう。
……来年は軽いネタにしたいと思います。まじぽか二期とか。
■ プログラミング HAL/Sと、長征本訂正箇所について -2012年1月3日(火)18時43分
スペースシャトル搭載計算機専用プログラミング言語HAL/S本こと"プログラミング HAL/S"のデータを公開いたします。以下のurlからダウンロードしてください。
プログラミング HAL/S pdf版
プログラミング HAL/S epub版
pdf版はandroid7インチタブレット等での見え方を考慮して、上下左右余白を小さく修正しました。epub版はそれでも文字が小さくて見え辛かったりする場合向けですが、図表が大きいのでこれまた見え辛かったりするかも知れません。
先日頒布いたしました同人誌"宇宙の傑作機No.17 長征二号"に、いくつかミスを見つけました。申し訳ありません。今のところ見つけた箇所は以下の通りです。
目次には"6:長征二号Fと神舟"とあるのに本文該当箇所見出しには"長征二号F"としかない。これは目次の"長征二号Fと神舟"が正しい見出しとなります。
16ページ6行目、"紅光□"は"紅光沟"です。
19ページ16行目、"□光琰"は"萧光琰"です。
33ページ図20、二段目エンジンエンジンは姿勢制御スラスターをYF-24としていますが、これはYF-23です。二段目エンジン系全部合わせてYF-24と呼ばれます。
80ページ、最近の遥感衛星打ち上げ時のフェアリングについて、最新の遥感13号打ち上げで新しい断熱被覆が使用されています。これは段付きではなく大きめのシートを継ぎ合わせたようなものになっています。
85ページ5行目、"RD-170と同時代でありを採用し"は、"RD-170と同時代であり"が正しい本文となります。
- 89ページ25行目、"ただ、この神□は非再生冷却式のノズルを持つと思われ、恐らくは固体ロケット機である。"ここに関しては、よく考えてみたのですが神龙の推進形式は実際のところ不明です。この文章は丸ごと無視してください。
■ Make:Tokyo meeting07と宇宙の傑作機新刊 -2011年12月3日(土)23時04分
Make: Tokyo meeting 07で、ガンマ線カウンタの基板を貰われて頂いた方へ:データ一式は、
にあります。HAL/S本のデータは、年明けに公開いたします。
同人誌"宇宙の傑作機No.17 長征二号"をコミックマーケット81、12月30日(二日目)東フ24b、風虎通信にて頒布いたします。
1970年代から現在まで中国の宇宙開発の主役であり続けているワークホース、長征二号とそのバリエーション、長征三号、四号、風暴、そして弾道ミサイル東風五号についての本です。バリエーション含めて計171+2機(原稿を書き終わった後に2機打ち上がった)という圧倒的な打ち上げ実績は、特に1996年以降の大改革と打ち上げ回数の増大、そして信頼性の向上によるものが大きいでしょう。本書では中国の品質保証体制や有人システムの体制も記述しています。これらを理解するためには中国の宇宙開発史を知ることも必要でしょう。本書では文化大革命と宇宙開発の深い関係についても触れています。
勿論、長征二号の構造についてもた� ��ぷりと解説しています。長征二号のタンク構造は意外なものでした。二段目の分離構造も、実はトラス構造のところで分離するんじゃ無いんですね。量産性の高いエンジン構成、アクセス性の良いマンホールも見逃せません。そして将来の代替機、長征五号らにもちょっと触れています。
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さて、ちょいと書きそびれてしまった、中国の宇宙開発の黒歴史、1996年2月15日の大惨事に関して、西昌射場周辺の地理について説明をここでしたい。
図は、西昌射場周辺のgoogle mapより取得した上空写真である。画像取得日は2006年11月となっている。これに番号を振った。1は射点(二番射点)、2は墜落現場、3は衛星組立棟、4は新設されたと思しき住宅地、5は打ち上げ管制及び管理棟である。現在打ち上げ時はここより射点側へは立ち入り禁止となっている。実際にはちょっと先の道路上が境界である。また管理棟のとなりのビルの屋上が観望台になっていて、観光客はここで打ち上げを観る。
問題は4で、およそ80棟ほどが確認できるようだ。もしこれが1996年以降に建設されたとすれば、墜落現場にあったとされる集落の規模と一致することからみて、現在の射点作業者の住宅だと考えることが出来るだろう。
3の位置関係も見てほしい。かつては2を経由せずに移動することは出来なかったものと思われる。� ��落の破壊状況を撮影した外国人技術者は、3で作業していたものと思われる。中国側は、どうしても集落の惨状を外国人が見てしまうことを防げなかったのだ。で、後に2を経由しない道路が建設されたようだ。もしかすると現在も2を全く経由しないルートを取っているのかもしれない。2には現在、荒地と公共施設、そして公園と科学館があるのみである。
■ 放射線とコンピュータと半導体についての基礎的な諸々 #5 -2011年7月14日(木)23時09分
コンピュータシステムにおいて最も複雑で、最も問題を起こしやすいのはソフトウェアです。開発手法によっては複雑さに対する問題発生の割合をかなり低くすることができますが、バグを無くすことはできません。重要なのはバグが発生することを見越して対策することと、テストです。
ポインタを示すデータがビットエラーを起こしたとしても、例えば例外で捕捉してそこから復帰できれば良いのですし、あらかじめ問題の無いことを確認できれば良いのです。
更に小型システム向けの簡単なテクニックについて述べていきます。まずフラグとしてbool値を使うことは避けましょう。どうせアクセスは最低でもバイト単位なのです。0x00を書き込み時には偽値に、0xffを真値に割り当て、読み出しの時に8ビットの中で4ビット以 下しか立っていなければ偽値、それ以上なら真値とみなせば、なんと4ビットまでビットエラーを許容できてしまいます。ただ普通はここまでコストを掛けなくても良いでしょう。2ビット、3ビットをフラグ表現に割り当てるという手法で充分です。
割り算の分母に変数を使うのは避けたいところです。もし分母が0になったら0除算が起きます。できるだけ割り算はビットシフトに置き換えましょう。
プログラムをSRAMに展開するのは避けるべきです。フラッシュマイコンの利点は、プログラムをフラッシュメモリから直接実行できる点にあります。フラッシュメモリの耐放射線性は、例えばできるだけ定数テーブルを利用するなどして生かすことが重要です。フラッシュメモリの空き容量は復帰処理に戻るコードで埋めておきまし� �う。
その他の素子、部品についても述べておきましょう。
抵抗やコンデンサ、インダクタは材質にもよりますが、ほとんど放射線の影響を受けません。炭素皮膜抵抗、金属皮膜抵抗、積層セラミックコンデンサ等は、放射線耐性を考慮する必要はありません。
トランジスタも気になるのはトータルドーズだけで、適切に寿命を設定すれば問題なく使える筈です。FETは放射線に対して弱いのですが、まずトータルドーズ耐性に関しては定格耐圧でだいたいのところ見当がつきます。パワーMOSFET、それもn型ではラッチアップに良く似た現象が起こりますが、これはラッチではなく破壊現象です。ドレイン側の寄生ダイオードに逆電圧降伏を起こすだけの電圧が発生すれば、ソース側の寄生ダイオードを経由して電流が流れてし� �います。p型だとソース側に逆電圧が必要で、すると必要な電圧はかなり高くなるのでこの現象はあまり考える必要がありません。これも耐圧によって耐放射線性が違いますが、同時にドレイン側電圧と耐圧の差が重要になります。n型の弱さは、Hブリッジでモータドライバを組んだものを放射線環境で使うのに躊躇する原因となります。しかしMOSFETでも最近話題のSiCは原理的に放射性耐性がかなり強い筈です。
ダイオードも耐性はモノによってバラバラです。とはいえスイッチングデバイスではないので気にするのは基本的にはトータルドーズだけでしょう。
フォトカプラやフォトMOSリレーは放射線に比較的弱いため、宇宙ではあまり人気がありません。宇宙では基本絶縁は考えません。衛星ではけっきょく電源の根っこはバッ� ��リなのですから。地上で絶縁が必要な場合はパルストランスを選択しましょう。
太陽電池はガラス位でしかシールドできないので、耐放射線性は極めて重要です。ガリ砒素太陽電池は強く、変換効率も高いのですがいかんせん高価です。ですから宇宙での寿命如何では結晶シリコン太陽電池は候補に挙がります。性能は高く比較的安価なので、性能劣化を見込んでも充分使い物になります。とはいってもやっぱり高価です。
電荷結合素子であるCCDはDRAM程度の耐性を持ちますが、CMOS撮像素子の耐性はSRAMそのものです。ビットが化けます。とはいえ多少化けたからといって深刻な影響が出るようなものでも無いので、多くの場合放置されます。画像をフレームとして送り出すロジック部のほうが放射線の影響は致命的です。例えば データフレームから垂直同期信号が消えうせたら、受け手は画像を丸ごと取りこぼすでしょう。
ただ、ここで暗黙の前提としている原発災害による放射線に対しては、撮像素子の放射線耐性は考える必要はまずありません。撮像素子は鉛ブロックなどでシールドしておいて、ミラーで光路を屈曲させて外の光景を素子に届ければいいのです。放射線はミラーで反射されたりしません。厳密にはX線は電磁波なので浅い角度では反射しますが、二段屈曲で全て遮る事ができる筈です。こういう工夫は原子力工学の黎明期では当たり前のことでした。
原発災害による放射線という意味では、実のところ宇宙とは耐放射線性の考え方が随分変わってきます。核種崩壊で粒子に与えられる数MeV程度のエネルギーでは、いまどきのデバイスな� ��事実上ラッチアップを考慮する必要はありません。宇宙での陽子線は太陽フレア由来で数百MeVのエネルギーがあったりしますし、ガンマ線に至っては重力崩壊によって与えられたと思しき滅茶苦茶なエネルギーのものがあったりします。宇宙用ではこういうエネルギーに対処する必要がありましたが、地上ではその必要がありません。
逆に炉心近くの環境では、数キログレイの放射線環境に耐えるものが要求されます。地球低軌道では100グレイ程度に耐えればいいと考える事が多いのですが、従ってトータルドーズ及びアップセットは本格的な考慮が必要です。トータルドーズに関しては、性能劣化を睨みながら頻繁にボード交換を行うといった対処が地上では可能です。
そもそも地上で動くロボットには、重量制限が事実上あ りません。3mm厚のアルミなんて薄紙一枚な遮蔽ではなく充分な遮蔽が行えます。例えば核種崩壊による数MeVのガンマ線なら、50ミリの鉛、90ミリの鋼で放射線量は1/100にできます。放射線量を1/100にできれば、低軌道用の耐放射線設計でも充分使い物になります。遮蔽を有効に使うためには、素子の高密度実装による被遮蔽面積の最小化が必須となるでしょう。
しかし、放射線環境で半導体デバイスを使おうと考える前に、使わないでできないか、まず考えていただきたいと思います。モータの駆動もリレーが使えます。リレーの制御も直接ケーブルを引っ張って駆動することができます。センサの代わりに棒が使えないか、PWM制御の代わりにカムが使えないか、考える事ができるでしょう。
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